福岡と博多・そして太宰府
生まれてこのかたほぼずっと福岡県民なわたし。
こないだは山笠に行ったままのテンションで書いちゃったのですが、きちんと福岡の紹介をしていきたいと思います。
今後Backgroundからだんだんと私にフォーカスしていこうと思っています!
乞うご期待!!
ということで今回のタイトル、「福岡と博多・そして太宰府」について書いていこうと思います。
福岡と博多
どっちも聞いた事はあると思うんですが、実は結構厳密で結構今までいろいろな歴史をもち、物議をかもしてきた地名なんです。混同して使われていることもかなりあるんですけどね。
ざっくりとした図でいうとこんな感じ。
那珂川に囲まれた「中洲」を境に福岡と博多部に分けられます。
中洲は歓楽街としてとっても有名ですが、地形が本当に中洲なんですよー
それぞれの史的背景をこれまたざっくり説明すると、町人の町と武家の町。
博多は中世以来アジア交易の拠点として、当時最先端であった禅宗寺院を核に栄えた「伝統的巨大貿易都市」という背景を持ちます。その後荒れた時代もありましたが、豊臣時代に朝鮮出兵をもくろんで復興が行われました。太閤町割後は朝鮮出兵の軍需もあり絶頂期へ。博多豪商は大阪の堺衆と並ぶ天下の商人となりました。
関ヶ原後黒田長政が入国、福岡城を築きます。家臣たちや黒田系の町人は福岡にもちろん住むのですが、黒田の力を持ってしても、豊臣時代からの豪商たち 神屋・嶋井などを博多から福岡に移住させる事はできませんでした。
黒田は放っておいたわけではなくて、いろいろ都市面でも方策を施してはいるんですが、身分では上の福岡、経済では優位の博多、という意識や緊張関係みたいなもの、分別意識が固定観念化し残っていくことになるのです。
それは明治にいたっても市名を決める時に大騒動を生んだりしています。
と、そんなわけで前回の山笠の記事(http://yummmmmy-0604.hatenablog.jp/entry/2013/07/16/111516)には意識して「博多」という言葉を使っています。
今回の記事はだいぶ真面目になりましたね。だいぶ長くなったのでいったん切りますか。
太宰府の話までいきませんでしたー><;あれま。
こんどこそ次回は、私の住む街、太宰府・大宰府で書きます〜!
参考文献:都市の成り立ちと歴史的文脈
近世都市ー福博(福岡・博多)を題材にして
木島 孝之